カウンセリングとは?

人は、なぜ「苦しみ」を感じるのでしょうか?

その「苦しみ」は、どうのようにして解決されるのでしょうか?

人が抱く想いや願望は人それぞれ、さまざまです。

けれど、人の心が苦悩する時、そしてそれが解決してゆく時には

ある一定の「法則」のようなものが働いています。

 

「苦しみ」って?

私たちは「自分らしく」「のびのびと」「心地よさを感じながら」生きていきたいと願います。

それが叶わず、心ならずも「苦しみ」の中に捕らわれている時

心の中にあるのは「葛藤」です。

「こうしたい」「こうなりたい」「こうでなければならない」という想いと

「でも、できない」「なれない」という実際の自分との衝突が生じた時

それを人は「苦悩」として感じます。

  • 健康でありたいのに、病に捕らわれてしまった
  • のびのびと自分らしく生きていきたいのに、不自由で窮屈だ
  • したい、しなければならないのに、出来ない事情が襲ってくる
  • 頑張ろうとするのに、身体がついてこない、気力が湧かない
  • 愛し愛され、よい関係を築いていきたいのに、パートナーシップがうまくゆかない
  • 豊かに暮らしていきたいのに、金銭的に苦境に立たされている
  • 誰とも仲良くしていきたいのに、仲間外れにされる、疎まれる、いじめられる
  • 機嫌よくいたいのに、人の言動に許せないものを感じ、心がいつも怒りに捕らわれている

これら、あたかも自分の外側からかやってくる外因的事象のように感じられることさえ

実際は、人の心の中にある「葛藤」が投影されて目の前に現象として現れているものです。

人が抱えるさまざまな問題は、まるで別々の事柄のように見えますが

苦しみの元にあるのは、ただ一つ、その人の中の心に存在している「葛藤」なのです。

 

葛藤の正体が見え始めたら解決は時間の問題

しかしながら、私たちは日々の出来事に追われ、対処していく中で、現象にだけ目が行きがちです。

それらの現象・出来事の元になっている「自分の心」の奥深くを見る手立てを持たないままで生きていることが多いです

自分の心の中は、自分が一番よく知っている筈

自分で自分の心の中を、よくよく見つめてみればわかる筈

そのように思われがちですが

自分自身の心ほど見えにくいものはない、と言うこともできます。

自分の顔を、姿を、客観的に外から眺めてみることができないのと同じように。

見ようとすれば、「鏡」という媒体が必要になります。

「苦悩」を感じ、そのさなかにいる時、私たちは

自分の心が本当は何を望み

どんな「思い込み」を持っていて

どういう訳で「苦しみ」を味わっているか

そもそも、自分の抱えている「葛藤」は何であるのか?

を懸命に探ろうとしますが

自分自身で自分の悩みを外から客観的に眺めて

一人きりで自分と向き合い、その全貌を知ろうとすることは至難です。

長い間、身にまとってその人の皮膚の一部になってしまったかのような

生き方の「前提」「当たり前」に氣づく、見えるようにする「鏡」

それが、カウンセラーという存在の役割です。

 

両側が見える、それが良いカウンセラー

「カウンセリング」という手法は

カウンセラーという一人の人間を前にして

クライエントさんが、自らを語り

カウンセラーがひたすら「受容」しながら「傾聴」する

というものです。

カウンセラーも一人の人間として、この世界に生き、社会の中で暮らしています。

カウンセラー自身の成育歴、境遇、性格・性質もさまざまであれば、

それらに影響を受け、育まれた、固有の人生観と価値観を保有して生きています。

そんなカウンセラーが、「葛藤」を抱え「苦悩」している人を前に話を聴く時

一人の生活人としての心が反応すれば、いろいろな感情が湧きます。

例えば・・・・

うつ病で苦しんでいる人の「葛藤」を前にした時、クライアントさんの

頑張って、元のように一所懸命働いて、会社や同僚の役に立ちたい!

という氣持ち

でも、もう頑張ることが出来ない、氣力を振り絞っても何も出てこない・・・・

という現実

この二つに挟まれて苦しんでいるクライアントさんの言葉に耳を傾けて

「どうか立ち直って欲しい、また元気に元通り職場復帰できるように応援したい」

と思うか?

「なんだ、もう少し頑張れるはず。誰もが苦しい時はある、甘えがあるのでは?」

と感じるか?

または

「辛いよね、動けない時のツラさは、心底わかる、無理もないよね」

という心が動くか?

基本的にカウンセリングは「傾聴」ですから、口を挟まずとにかく聴く

この基本を外さないまでも、声に出して発言するしないは別として、

人間カウンセラーは、クライアントさんの「葛藤」の

二極のどちらかの肩を持ってしまいがちです。

 

けれど、それではクライアントさんの心は回復しません。

どちらかを勝たせて、どちらかを抑える、というやり方は

うつ病を発症した時の心のメカニズムに戻っていくことに他ならないからです。

頑張って元に戻りたいと願うクライアントさんの心も

もう頑張り続けることは無理なんだ、限界なんだ、というクライアントさんも

どちらもクライアントさん自身であり、嘘偽りのない心です。

 カウンセラーに、その両側が見えていれば

どちらか一方に肩入れすることなく、「受容」して「傾聴」を続けることができます。

人間としてのカウンセラーが、どのような人生観と価値観を持って自分の人生を生きているか、という問題とは違う次元で

クライアントさんの、相反する二つの心を、どちらも「受容」し「共感」することができます。

 

カウンセリングの場で起こること

カウンセリングにおいて、カウンセラーがクライアントさんに対して

「応援」したり、「助言」したり、ましてや「批判」したりすることは、ありません。

それらは、クライアントさんご自身の「苦悩」の解決を遅らせるからです。

人の心は、他者の教示や助言によって回復するものではありません。

ただ、「共感」し「受容」し、耳を傾け続けるのみです。

人の心の仕組みを学んだ者として、その時どきのクライアントさんの状況に応じて

適切、かつ必要な情報を提示することはあります。

それを受けて、クライアントさんご自身が「葛藤」に“ケリをつけて”

相反する二極化した自分自身の心の、どちら側も裏切らない

新たな生き方を、自ら生みだし、再び歩き始めるのです。

 

人の心という不思議なシステム

他者と対して、人が自分の心を語る時間

始めは緊張があったり、戸惑いがあったり、罪悪感があったり、恐怖があったり、頑なであったり、正直になれなかったり・・・・

本当に苦しみ抜いた人は、心の奥底を、自分の外に出し、おいそれとは人目に晒すことができません。

無意識のうちにも避けようとします。

けれど、人の心というのは、本来表に出ていきたがる性質があります。

群れで暮らすように作られた人という生き物は、他者に理解されたいという本質を持っています。

本当は、自分を言葉にして言い表し、伝えたい!

そう心から感じられた時、それまで浮かび上がってこなかった

心の底に沈み隠れていた「想い」が解放され、表出されます。

この体験が

クライアントさん自身も、それまでは自覚さえしなかった

激しい感情や、想いの表出となって

「苦悩」が解消されていく一つの道標となるのです。