恨み
人は自分でも気づかない思い込みの為に、自ら選択肢を失って不自由に陥っていることがあります。
私の個人的な話を具体的に記してみたいと思います。
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予めお断りをしておかなければなりません。
途中、言葉がかなり過激です。
お読みになってご気分を害されませんように…
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発達障害の母に、心理的虐待、心理的ネグレクト、時には身体的虐待を受けて育った私は、ジストニアという、脳の回路が書き換わってしまう病気になりました。
治療を受けながら、この病気をあらゆる方向から調べていくうちに、被虐体験が病気の原因であることは間違いないと判明しました。
物心つく前から母に虐められていた私、からかわれオチョクられ人前で笑い者にされてきた私、絶対服従を余儀なくさせられてきた私、無理難題を押し付けられても叶えようと必死で生きてきた私…。
けれど、私の中には「母を恨んではいけない」という、それはそれは大きく強い思い込みがありました。
母も私が持っているその思い込みをよく知っていたようで、何か口論になって形勢不利になってくると決まってこのセリフを言ってきました。
「あなた、ワタシを恨んでるのね…」
口論のネタと言えば、例えば…
小・中学生の頃、母が私に言いつけたことを忠実に必死に守った私、その結果を見せに行くと「そんなことワタシは言わない、あなたって嘘つきねー」と言われる。
また、高校・大学と進み、抑えつけられてきた自立心が爆発した頃
私がしたいと思うことを、母に伝える。
当時の私に必要だと切実に思ったこと
失敗してもやってみたかったこと
体験してみる価値があると思ったこと
自分が殻を破るためにどうしても越えなければと感じた壁
そのために今どうしても行動を起こさなければ!
許して、応援して、とは言わない。
どうか、この試みを見守って欲しい。
私の心からの願いにはすべてNOを出されました。
理由は…ない?…みたいでした。
強いて言えば、独裁権の誇示??
若かった私は必死に訴えます。
「なぜだめなの? 失敗したって、それは経験になる。痛い思いをしたら、学びになる。このまま何もしないでママの言う事だけに従って生きていたら、私は自分では何もできない人になってしまう。それに、私がママの意見を聴きたい時には、そんなこと自分で決めなさい、と言うじゃないの!?」
「とにかく今はダメと言ったら、ダメ。言う事をきけないんだったら今すぐこの家を出て行け!!」
いつも、理不尽。
意味不明。
根拠がわからない。
戦おうとする。
わかって貰おうとする。
正当性を主張してみる。
母と娘であっても別な人間、私の人生は誰の責任でもない、私が担わなければならないものだ、と言ってみる。
そして、口論の果てに出てくるあのセリフ。
「あなた、ワタシを恨んでるのね…」
このセリフは印籠のようなもので、言われた私はその瞬間に思考停止、ぐっと黙ることだけしかできなくなります。
私にとってイタイ、イタイ言葉だったのです。
親を恨んではいけない
親を怨むような子は、恩知らずだ
人として最低だ
産み育ててくれた恩を踏みにじる卑劣な心だ
私の思い込みは年々強固になり、大人になってもパワーを増し続け、そして心の奥底に沈んで意識できなくなりました。
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それが、最近になって自分を掘り下げていくやり方を学んでみると、私が抱えている問題、日々起こってくる問題、すべてはその「思い込み」が根底にあることが解ってきました。
どこを掘り下げても、行きつくところは「母を恨んではいけない」ことに繋がっていたのです。
では、なぜ「母を恨んではいけない」のか?
じっくり自分の心と向き合って答えを探っていきます。
決して楽しい作業ではありません。
すると見えてきたのは「母は弱者だから」という理由。
足腰が弱って自立歩行のできない母
食べても食べてもやせ細って34㎏しかない母
髪も歯も抜けて老婆の容姿をした母
病院で異常と見なされるほど腰が変形し、ねじれ曲がってしまった母
一切の財産を使い果たし、娘の私に生活を全面的に支援されないと今日を生きることもできない母…
美貌を失い老醜を晒している
金回りのよい時には湯水のように使った報いを受けている
行きたいところにも出かけられなくなった
夫を亡くし、一人で寂しく暮らしている
その上、今となっては、発達障害者であることもわかりました。
可哀想な母
不幸せな母
惨めな母・・・
!!!
そこで、主治医の高橋医師に言われたことを、はたと思い出しました。
「お母さんは、常に幸せにしかなれない人だから安心してね。
お母さんはあなたよりずっと幸せなんだから」
可哀想で、惨めで、不幸せな母親像は、私が作り上げた幻想だったのです!
実は、母は今でも自分のことを美しいと強く自覚しています。(事実、ある意味美しいです(笑)
一人を満喫して、自由にマイペースで暮らしています。
お金の無心をすれば、いつでも持ってくる娘が傍に住んでいます。
人を顎で使って(私が雇っている人材センターの人です(^_^;) 欲しいものは何でも買いに行かせています。
病院とデイケアセンターを社交場のように思って、お仲間や先生にあれこれ自慢話をしては満足しているようです。
そう、母は幸せだったのです!
心配したり、世話をしたり、お金を渡したりしながら、私の心にあった本当の思いは・・・
私にひどいことを言ったり、したりしてきた、母よ!
醜い哀れな老女であれ!
自活できない年代の私に、家を出て行け!という文句を盾に支配してきた母よ、思い知れ!
その娘が養わなければ一日の暮らしも成り立たない自分の境遇を嘆くがいい!惨めでいやがれ!
不幸でいやがれ!
・・・・・・・・・・・
これが私の心の底にあった本音です…。
これが「母への恨み」でなく、なんでしょう?
「恨んではいけない」どころじゃない、既に恨みは私の全身にまわっていたのです。
そうわかった途端、「恨んではいけない」は「恨んでもいい」に変わりました。
そして、次の瞬間、信じられない早さと確かさで、もう一つの転換が起こりました。
「恨んでもいい」と心から思えたら、「恨まなくてもいい」が自動的に生まれたのです。
選択肢が広がった瞬間でした。
私が選んでいいのです。
「恨んでも、恨まなくてもいいんだったら、恨むことはないわ」
無理に道徳心を働かせた訳でもない。
迷いも、わだかまりも、一切ありませんでした。
ごく自然に、憑き物が落ちました。
母は弱者なんかじゃない、世界一の強者=ツワモノなんだ!
そんな母が頼もしくもあるし、ちょっと可笑しくて、可愛くも思えます。
やはり、私は母のことを、愛しています。
それは少しも揺らぎが無い。
愛し、求めていたからこそ、憎み恨んだんだな、と思います。