被害者から当事者へ変わった日
声楽家なのに
声が出ない
病名が診断された
お医者様から
「もうこれ以上出来ることはありません」
と言われた
ジストニアって
痙攣性発声障害って
難治病だと言われている
母から虐待を受けて
育ったことが判明した
そのために発症したこともわかった
母が発達障害者だと知った
虐待は避けられないことだったと
悟った
症状だけでなく
数々の心の重しは
成育歴から生じたものだとも
理解した
そんな状況だった私は
毎日夢想していました。
発達障害ではない
普通のお母さんのもとに
生まれていたらな
病気にもならなかっただろうな
きっと私の声は
普通に出ていたんだろうな
もっと伸び伸びと
人生を楽しんでいたんだろうな
自分の本来の能力を
もっと発揮できていて
第一線で歌って
活躍していたかもしれない
指導ももっとスムーズだろうな
たくさんの人に
歌う素晴らしさを
披露したり
指導したりして
自由に活動できたのにな
そうなふうに思っていた頃の私は
とっても不幸でした。
虐待をしてきた母も
病気も
私の意思に関係なく
身に振りかかってきたこと
避けようもない災難だった。
私は、知らず知らず
自分の運命を嘆き
恨み
呪っていました。
これぞ 被害者意識
でも、本当にそうでしょうか?
私に出来ることは
自分の運命を呪いながら
与えられた状況をいやいや受け容れて
何とか堪え凌ぎながら
人生を送るしかなかったのでしょうか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・
私は、自分に「No!!」と言ったのです。
その時のことを
割合はっきりと覚えています。
それ以前も
カウンセリングに通い
ハリに通い
アーユルヴェーダの診察を受け
瞑想を習い、実践し
・・・・・etc
数えきれない工夫と
試みがありました。
およそ、よいと思われることは
すべてチャレンジしていました。
けれど、なかなか現実は
動かなかったのです(-“-)
どうして? どうして?
と問い続けました。
いずれ必ず改善し、完治することは
わかっていたのです。
私自身がそれを信じていたから。
でも、その信念に現実がついてこない。
そしてやみくもに、とにかく行動し続けているうちに
意識の変革が起こりました。
病気も
虐待も
発達障害の母も
外からやってきたものではない
すべては、私が引き起こした
一つ一つの現象に過ぎない
だって、この人生に起こっているすべては
私の目を通して見えているものなのだから
この考えが、強烈な勢いで
自分に浸透していくのを
感じました。
惨めで哀れな被害者だった私が
自分の人生は自分で望むとおりに
変えてくことができると腑に落ちた私
||
当事者
へと変身した瞬間でした。
そして、今の私がいます。
あれだけ症状が消えず
苦しんだ病気が
今は、まったく気にならない
心から愉しく歌い
人と思いっ切りお喋りします。
怖れと不安に
固まり切った身体と心は
自由と解放を獲得し
毎日が、とにかく心地よく愉しい
怖れや不安は
人として必要なセンサー機能ですから
なくなりはしません。
だって、それを感じる能力を失ったら
車道に飛び出したり
煮えたぎったやかんに触ってしまったり
してしまうそうですよ。
だから、恐怖も不安も
私たちを守ってくれている
そんなふうに理解できたら
もうそれらは敵ではないのです。
ありがたい存在です。
自分の人生の当事者は
私以外にいない
当事者であれば
何をどのように変えていくか
自分の意思、考え、思いによって
自由に選択し
獲得することができる
信じられませんか?
私は生き証人になりたいです。
どれほどの不幸(と感じられる現象)に襲われようとも
自分の人生は
自分の望み通りに
変えることも
作り上げることも
できますよ
ということを
今、悩みの渦の
真っ只中にいる人に
知らせたい。
あなたは、かつてのわたし自身だから・・・。