音声とは
ほとんどの方は普段
人と会話したり、独り言をつぶやいたり、鼻歌を歌ったり、カラオケで楽しんだり、何かの応援で大声を張り上げたり…
ということを、あまり意識せずしていらっしゃると思います。
自然だし、当然のこと。
私は48歳の時に、声の出にくいジストニアという病気と診断されました。
普通に喋ろうとすると、喉元で「うっ」と詰まったり、無理に声を出そうとすると声帯が激しく痙攣をおこして声が震えるのです。
調子のいい時は、あまり傍目にはわからない程度ですが、症状の程度は日によって目まぐるしく変化します。
歌い手として
声楽指導者として
ジストニア患者として
色んな事を学び、考え、気付いた時
声って人間にとって、とても特別なものだ
と改めて強く思いました。
声には、背を向けている人を振り返らせる力があります。
「ちょっと!」とか、「落し物ですよ」とか…。
いくら大きな身振り手振りで動いても、背を向けている人は気付かず行ってしまうかも知れない。
視覚は、瞼を閉じれば一応さえぎることができますが、聴覚は耳をふさいでも完全にはシャットアウトできません。
そのくらい、音声とは主張するものなんです。
周囲に向かって発信力を持っているのです。
「気配を消して立っている」ことはできても「気配を消して声を出す」ことはできません。
声が出る仕組みですが、喉頭の中にある2枚一組になった薄い筋肉=声帯が、肺から送られてくる息によって振動して声の元が作られます。
草笛のようなものを考えて戴ければ解りやすいと思います。
注目したいのは、“息”が2枚の声帯の隙間=声門を通り抜けようとしなければ、声は作られないというところです。
息=「生き」
ですから、声が発せられているところには、生命の活動が必ずあるということです。
声は、その人の気配そのものです。
声は、その人の生命の活動の証しです。
声は、その人の存在の主張です。
太古の昔、人類がまだ言語を持たなかった時代に、既に発声器官は人体に備わっていました。
発声器官は、言葉を喋ることを目的に発達した器官ではない、ということです。
その頃の人類は、恐怖や、威嚇や、喜びや、痛みや、悲しみ…そういった感情をそのまま音声として発し、表現していたのでしょう。
あるいは、危険を仲間に知らせる為に。
感情が動いた時にこそ、音声は発せられる。
これもまた一つの仮説を可能にします。
感情を押し殺した状態では、声は出にくくなる
それは、発声器官のもともとの目的にかなっていない状態だからです。
声について、自分自身について、とりとめなく上記ようなことを考えているうちに、ぼんやりと私の中にある一つの考えが浮かび上がってきました。
自分の存在を主張することは許されなかった
なるべく気配を消して生きてこようと努力してきた
感じると苦しすぎて生きていかれないから、感情は押し込めた
こういう人が、声を失うのではないか?
・・・・・・・・・・
私は声が出なくなった当初、一度は痙攣性発声障害ではないか、と診断されました。
ブログを書き始めたのも、その診断がきっかけでした。
痙攣性発声障害もジストニアの一形態です。
のちに検査を重ね、「音楽家のジストニア」という別な病名が付きましたが、脳の指令を制御することができず、声帯が硬直・痙攣をおこす、ということにおいては変わりありません。
当時、多くの痙攣性発声障害を患う人々とコミュニティを通じて交流を持ちました。
声が出ないのでは、仕事にも就けない、電話にも出られない、友達とおしゃべりもできない、何とかして声を出したい!
患者の会の人々の共通の思いです。
声帯の一部を除去したり、声帯にチタン製の金属を埋め込み動きを制御する手術を受けて、持って生まれた声とは違うけれど、とにかく声を取り戻した人たちも少なからずいます。
皆さん、生き返ったように、再び声を出せるようになった喜びを語ってくれました。
私は、声楽家のはしくれとして、自分の持って生まれた声を手術で失ってしまうことは到底考えられませんでした。
検索ワード『痙攣性発声障害』で、こちらを訪れてくださる方が少なからずいらっしゃるので。
誤解を恐れず、非難を恐れず、もしかしたら、私の勝手な推測に過ぎないかもしれないけれど、勇気を持ってこう言ってみたいのです。
痙攣性発声障害でお悩みの皆さんへ
もしかして、無意識に感情を抑え込んでいませんか?
小さい頃に親に理解されずに苦しかった経験はありませんか?
自分の存在を否定されて、身を守るために気配を殺して生きるクセがついていませんか?
そのために、あなたの声は出にくくなっているのかもしれません。
みな自分のことは、普通だ、正当だ、当たり前だ、と思って生きているものです。
私自身も、まさにその通りの認識でいました。
自分が感情を押し殺しているのも、気配を消して生きているのも、虐待を受けて育ったことにも、まったく気付かずに48歳まで生きてきました。
自分では、それほど鈍感でも、脳力が劣っている訳でもないつもりですが、わからなかった、何も。
自分自身のことなのに…。
だから、もしこの文章を目にして、心に何か引っかかるものがあったら、それを真実の気づきへの一歩としてもらえたら、嬉しいです。